ありがとう、そしてさようなら
夢はFCバルセロナでプレーすることだった。
アンドレス・イニエスタが子供の頃からのアイドルだった。
ついにバルセロナへの加入を果たした。
背番号は憧れの8番だった。
クラブのレジェンド、シャビ・エルナンデスから「まるで自分を見ているようだ」と太鼓判を押された。
現在世界最高のサッカー選手であるチームメイト、リオネル・メッシは「プレーが確実で信頼できる。シャビを思い出すよ」と彼を賞賛した。
彼はこのクラブを背負って行く存在になるはずだった。
誰もが、そう思っていた。
新型コロナウイルスの影響によりラ・リーガが中断することになった少し後だっただろうか。アルトゥール・メロがピャニッチとのトレードでユヴェントスに移籍するという報道が流れた。
勿論そんな話を信じる人間は誰もおらず、「また飛ばしか」と鼻で笑われるのがせいぜいの記事だったはずだ。ネルソン・セメドが退団すると言う報道のほうがよほど真に迫っていた。
意外なことに、この噂は長く続いた。23歳の選手と30歳の選手をトレードする?バカな話もあるものだ。みんながそう思っていたし、なぜこんな分かりきったことをメディアが考えないのか不思議に思っていた。
そして6月11日、セビージャ・ダービーを皮切りにリーグ戦が再開された。その頃には、アルトゥールの移籍報道は沈静化したかに思えた。当然だ。ピャニッチがいくらクオリティの高い選手だとしても、今後10年のバルセロナを背負っていく選手になることはありえないのだから。
ずっとその状態が続いたなら、どれほど良かっただろう。
存在しないと思われていた火種は再び燃え上がり、報道は瞬く間に具体的な、真実味を帯びたものになっていった。
「バルセロナとユヴェントスは合意を済ませている。ピャニッチもカンプノウに降り立つ準備は済ませた。後はアルトゥールが”Yes “と口にすればこの取引は成立する」こんな報道が出たのはいつだったか。思わず笑ってしまうようなその話が紛れもない真実であることは、ラ・リーガ第31節、アスレティック・ビルバオとの試合での彼の表情を見れば明らかだった。
マドリーに順位を追い越され、1つたりとも勝ち点を落とせない状況で迎えた試合。その最中にいるとはとても思えない顔つきだった。ハーフタイムにアルトゥールがふとカメラを見たときのあの表情を、一体なんと表現したらいいのだろう?
おそらく試合前の写真。こんな顔をする選手ではなかった
FCバルセロナはいわゆるビッグクラブである。必要とされなくなった選手の居場所がなくなるのは、ある意味で当然のことだ。それは選手のクラブ愛が強くても変わることはない。得点後に涙を流すほど喜んでいたマウコムも、長年カンテラでプレーし、遂にトップチームに手が届いた矢先だったカルレス・ペレスも、これからバルセロナのシャツを着る姿を見ることはないだろう。
勿論そういった選手がクラブを離れるのは悲しいことだし、受け入れたくないことだ。ましてや現在のフロントは選手たちのことを商品としか考えていない。いや、もしかしたら会長であるバルトメウの目には彼らが札束の塊にでも見えているのかもしれない。
だがしかし、アルトゥールの移籍はその次元の話ではないのだ。それは現地スペインで彼の残留を願う #ArthurQuedateというタグがトレンド入りしたことからも明らかだろう。極東の地、日本でもバルセロナのサポーターによる#ArthurStaysというツイートが溢れていた。本人に落ち度は何1つなかったのだ。試合に出れば実力を証明していたし、クラブを批判するような言動もしていない。練習に遅刻を繰り返すこともなかった。確かに怪我がちだった時期もあったが、それは若い頃のメッシも経験したことだ。だいいち、このチームにはもっと怪我がちな選手が他にいる。
明確な方針のない大型補強を繰り返し、失敗と負債を積み重ねてきたバルトメウ政権。その過ちのツケを払うのがアルトゥールだと思うとやりきれない。
確かに、現在バルセロナのベストな中盤の組み合わせにアルトゥールを挙げる人は少ないだろう。おそらく、多くの人が底にブスケツを配置し、フレンキー・デヨングとアルトゥーロ・ビダルをインテリオールに置くのではないだろうか。
ラキティッチは最近調子を上げてきたし、リキプッチも台頭してきた。来シーズンにはレンタル中のアレニャだって帰ってくる。アルトゥールがいなくてもチームは成り立つのかも、という思いを抱える人もいるかもしれない。左のインテリオールにはデヨングとリキプッチがいるから、アルトゥールの居場所は早晩なくなるはずだ、という話もどこかで目にした記憶がある。
だが待ってほしい。リキプッチは確かに「本物」であることを示したものの、よりアグレッシブなチームと対戦すればどうなるかは分からない。例えば、全開で当たってくるリヴァプールを想像しよう。果たしてリキプッチは90分間耐え着ることができるのだろうか?ボール保持の時は通用したとして、ボールを持っていない時は?同サイドにワイナルダムを置いてクロスを上げられたら?不安があることは否めないだろう。
そしてビダルもラキティッチも、そしてブスケツも、バルセロナでの残り時間はそれほど多くないのだ。
そしてそれは、リオネル・メッシにも同じことが言える。メッシは先日、33歳の誕生日を迎えた。祝福するべきことなのは確かだが、メッシの引退がまた1年近づいたのも確かだ。あと数年すればメッシはいなくなる。それはとても残念なことだけれど、裏を返せば守備時の歪なバランスが存在しなくなるということでもある。
その時に、右インテリオールにフィジカルの強い選手を配置する理由はない。そうなれば現在チャンスがない選手たちにも出場の可能性は出てくるはずだ。言うまでもなく、アルトゥールもその1人である。
そしてブスケツが居なくなったピボーテに抜擢されるのは誰だろう?今のところ、デヨングが最も順当なのではないだろうか。そうなればインテリオールの選手層も安泰とは言えない。
アルトゥールはバルセロナの未来に欠かせない選手だったのだ。
それなのに。
それなのになぜ、こんなことになってしまったのだろう。
アルトゥールのバルサでの物語はここで終わってしまった。希望に満ちた未来は絶たれ、残ったのは大いなる裏切りの記憶と押し付けられた数々の失態、そして愛したはずのクラブへの不信感だけ。
アルトゥールにはこの扱いに抗議する権利がある。幾らでも怒っていい。不満をぶちまけたっていい。糾弾されるべきはバルトメウを筆頭とするフロント陣だ。これからもFCバルセロナを好きでいてほしい、なんて言うことは僕にはできない。
ありがとう。そしてさようなら。あなたに幸運がありますように。